オーディオファイルにとっての「聖典」とも言える名盤、『Cantate Domino』(Propriusレーベル)。 1976年にストックホルムのオスカル教会で録音されたこのアルバムは、たった2本のマイクで捉えられたとは思えないほどの圧倒的な空気感とダイナミックレンジで、今なおリファレンスとして君臨しています。

私自身、最初に手にしたLPに衝撃を受けて以来、CD、そしてハイレゾ音源と買い揃えてきました。今回は、手元にあるCD(44.1kHz)、FLAC(88.2kHz)、そしてFLAC(192kHz)の3つのフォーマットを、自作のMusic RTA(リアルタイムアナライザー)を用いて徹底比較しました。
そこには、単なる「解像度の向上」だけでは語れない、興味深い事実が隠されていました。
本記事の解析に使用した計測システムの詳細や、binaural.jpがMusic RTAを行う目的については、こちらの[カテゴリー説明ページ:Music RTAの背景]をご覧ください。
波形比較:時代と共に増していく「熱量」
まず、それぞれの波形を比較してみましょう。ターゲットは、アルバム中最も有名な**「O Holy Night (O Helga Natt)」**です。
- CD (44.1kHz): 非常に素直で、アナログライクなダイナミズムを維持した波形です。

- FLAC (88.2kHz): CDに比べ、全体的なゲインがわずかに引き上げられています。

- FLAC (192kHz): 波形を一目見て分かる通り、かなり強力なマスタリングが施されています。拡大するとピークが -0.2dB 付近で綺麗に揃っており、デジタルの限界ギリギリまで音圧を攻めていることが分かります。


ハイレゾ化に伴い、エンジニアは現代の高性能な再生環境に合わせて、教会の広大なダイナミズムをより「鮮烈」に描き出そうと試みたのではないでしょうか。
RTA解析:超高域に刻まれた「格闘の跡」
続いて、Music RTAによるMax Hold波形の比較です。
1. CD (44.1kHz)
可聴帯域内において非常にバランスが良く、無理な強調を感じさせない「優秀録音」そのままの姿です。

2. FLAC (88.2kHz)
興味深いことに、ナイキスト周波数(44.1kHz)付近にレベル変動の少ない成分が観測されました。アップサンプリング工程におけるフィルタリングの特性や、ノイズシェーピングの影響が垣間見えます。

3. FLAC (192kHz)
興味深いのが30kHz以上の挙動です。楽曲が盛り上がるポイントで、30kHz以上の帯域に一定レベルの成分が出現します。 SoXを用いて -3dBのATT(アッテネーター) を入れて再解析しましたが、この挙動に変化はありませんでした。つまり、リサンプリング時の計算エラーではなく、「元の192kHz音源の時点で、ピークが飽和(クリップ)し、それに伴う高次の高調波成分が超高域まで派生している」可能性が極めて高いと言えます。

エンジニアとしての考察:この音源をどう聴くべきか
「超優秀録音盤なのにクリップしているのか?」と残念に思う必要はありません。 この192kHz版の挙動は、オリジナル録音が持つ凄まじいエネルギーを、1bitの妥協も許さずデジタルフォーマットに詰め込もうとしたエンジニアの「熱意」の結果であると私は捉えています。
この「攻めた」音源を、歪みなく、かつそのエネルギーを最大限に享受するための私なりのベストプラクティスは以下の通りです。
SoXなどのリサンプラーを通す際は、必ず -1.0dB 〜 -3.0dB 程度のプリゲインを入れること。
デジタル上のサンプル値が -0.2dB ということは、DA変換時の補間計算によって「トゥルーピーク(インターサンプル・ピーク)」が容易に 0dB を超えてしまいます。あらかじめデジタルドメインでヘッドルームを確保することで、この名盤が持つ本来の輝き、そして合唱の純粋な響きを濁らせることなく引き出すことができます。
まとめ
- CD版は、オリジナルの空気感を大切にした「静謐なリファレンス」。
- 192kHz版は、現代の解釈でダイナミズムを最大化した「鮮烈な体験」。
192kHz版に見られる挙動は、現代のリスニングスタイルに最適化された結果でしょう。この圧倒的な音圧とエネルギーを、手元のシステムでいかに歪みなく、ピュアに再現するか。そこに現代のオーディオファイルが挑む楽しみがあります。
フォーマットの違いは、そのまま「音楽へのアプローチの違い」でもあります。波形の裏にあるストーリーを読み解くことで、この40年以上前の名録音が、今なお新しい発見を与えてくれることに深い感動を覚えます。
皆様のシステムでは、この『Cantate Domino』はどう響いているでしょうか。
当カテゴリーでの分析結果は、特定の製品を批判するものではありません。詳細な運営方針については、以下のボタンよりご確認ください。


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